高額な家庭教師代をかけても、娘は落ちた ─ 父親が後から気づいた3つのこと

イメージ写真 受験との向き合い方
Photo by Jeisson Ortiz on Pexels (https://www.pexels.com/photo/empty-armchairs-near-windows-9780101/)

娘の大学受験が終わったあと、家庭教師代の合計を改めて見返したとき、私は言葉を失いました。

家計の中でも決して小さくない、相当な額。
それでも、娘は希望していた大学には届きませんでした。

良い先生に来てもらい、十分すぎる時間を取り、満足のいく環境を整えた。
それなのに、なぜ結果は出なかったのか。

しばらくは「家庭教師の指導が合わなかったのかもしれない」「もう少し時間が必要だったのかもしれない」と、外側に原因を探していました。

しかし、時間が経ってから振り返ると、そうではなかったとはっきり気づきました。

問題は、家庭教師の側ではなく、お金を払う側、つまり私自身の中にありました。

この記事では、高額な家庭教師代をかけても結果が出なかった経験から、父親である私が後から気づいた3つのことを書きます。同じように「お金で何とかしようとしている自分」に少しでも引っかかりを覚えている方の、参考になれば嬉しく思います。

家庭教師代をかけても、成績が上がらないことはある

最初に、自分の経験だけで語ることのないよう、一般的な情報も確認しておきます。

家庭教師の指導歴の長い方や指導法を解説する記事を読むと、家庭教師をつけても成績が上がらない理由として、ほぼ共通して挙げられているのは次の点です。

  • 子供本人の自主学習の量が不足している
  • 目標設定があいまいで、何のために勉強するかが本人の中で明確になっていない
  • 本人のやる気が低下している
  • 教えてもらった内容を、家庭教師が来ない日に復習・定着させていない

家庭教師に来てもらう時間は、週1〜2回、1回90分から2時間程度というご家庭が多いはずです。仮に週2回、各2時間来てもらっても、1週間で4時間。一方、本人が自宅で過ごす可塑的な時間は、平日だけでも20時間以上はあります。

つまり、家庭教師がいない時間のほうが圧倒的に長いのです。

ここに本人が向かう力がないと、どんなに優れた先生に来てもらっても、知識は流れていくだけで、本人の中に定着しません。

このシンプルな事実を、当時の私はまったく理解していませんでした。

気づき1:「お金をかけたぶん成績が上がる」と、心のどこかで信じていた

最初に認めなければならない自分の思い込みは、これでした。

「これだけお金をかけているのだから、成績が上がって当然だ」

口に出して言ったことはありません。しかし、心のどこかで、確実にそう思っていました。

家庭教師の派遣会社に依頼するときも、指導時間を増やすときも、判断は早かったと思います。「お金で解決できるなら解決しよう」という発想が、自分の中に当たり前のようにありました。

これは一見、子供のために頑張っている親の姿に見えます。実際、自分でもそう思っていました。

しかし、振り返ると、これは過干渉のもう一つの顔だったと、はっきりわかります。

以前書いた記事(過干渉な親の3つの特徴)では、「先回りして決める」「失敗を恐れて手を出す」「自分の物差しで子の進路を測る」という3つを挙げました。今思えば、私の「お金で解決しようとした態度」も、これらと同じ根っこから生まれています。

子供がどこでつまずいているかを見極めず、自主学習の習慣がついているかを確かめず、目標が本人の中で言葉になっているかを聞かず、「指導を厚くすれば、結果が出る」と思い込んでいた。

これは「子供を信じる」ことではなく、「自分の判断と財布で何とかなる」と思い込む、別の形の過干渉でした。

良い先生は来てくれました。指導内容にも問題はなかったと思います。

それでも結果が出なかったのは、その先生がいない時間に、本人が何に向かって、どれだけの密度で取り組むかという、もっとも肝心な部分を、私が「お金」で代替できると勘違いしていたからです。

気づき2:娘が口にした希望を、私の枠組みに収めてしまった

二つ目の気づきは、もっと深いところにあります。

娘は、高校時代のどこかで「公務員になりたい」と口にしたことがありました。

私は自治体職員として定年まで勤めた人間です。子の口からそんな言葉が出れば、当然嬉しい。だから私は、こう返しました。

「法学部に行けば、公務員の勉強も含まれるよ」

これは間違ったアドバイスではないかもしれません。法学部のカリキュラムが公務員試験の基礎科目と重なる部分があるのは事実です。

しかし、いま振り返ると、この返し方こそが、私の最大の問題点でした。

娘が「公務員になりたい」と言ったとき、私は「なぜそう思うのか」を聞いていません。

  • どんな仕事に魅力を感じているのか
  • 誰の働く姿を見て、そう思うようになったのか
  • 自分のどんな部分が公務員に向いていると思っているのか
  • 公務員のどの分野に興味があるのか

何ひとつ、聞いていません。

ただ、子の口から出た言葉を、私が用意した「法学部→公務員試験」という枠組みに、するりと収めてしまった。

そして、その枠組みの中で、家庭教師代を払い、参考書を買い、模試の判定を見ていた。

第8記事(公務員を目指す子供のために親が知っておくべきこと)でも書きましたが、公務員試験の現場で採用側が見るのは、何より「この若い人は、ここで何を貢献しようとしているか」です。

その「貢献したいこと」は、誰かに枠組みを与えられて出てくるものではありません。本人が、自分の中で、時間をかけて言葉にしていくものです。

私は、その大事な時間を、娘に与えていませんでした。「希望はある、進路は決まった、あとは勉強するだけ」と、自分のなかで処理してしまった。

家庭教師代をいくら積み増しても、本人の中に「なぜ自分はそこを目指すのか」という芯がなければ、勉強は単なる作業になります。作業に対する集中力は、どこかで必ず切れます。

お金よりも先に、私が時間をかけて娘と話し合うべきは、進路の中身そのものでした。

気づき3:学校の成績や模試の判定から、娘の実力を過大評価していた

三つ目の気づきは、率直に言って、いちばん認めたくなかった部分です。

私は、娘の実力を過大評価していました。 ありていに言えば、親バカだったのです。

過大評価の根拠は、いくつか揃っていました。

  • 学校の成績がオール5だった
  • 進研模試の偏差値が60前後と、それなりに高かった
  • 学校の先生方からの評価も良かった

子の親なら誰でも、こうした「客観的に見えるよい材料」が揃えば、希望大学への合格を当然のように思い描きます。私もそうでした。

ただし、もう一つ正直に書かなければなりません。

私が娘の実力の根拠として見ていたのは、進研模試の偏差値と、学校の成績、先生方の評価。それだけでした。進研模試以外の模試結果は、肝心な時期に、私の元には届いていませんでした。 娘が見せなかったのか、自分から見に行かなかったのか、いまとなっては定かではありません。

そして、それを私はこう処理していました。

「家庭教師の先生が、当然把握してくれているはずだ」

いま振り返ると、これも結局、お金で解決しようとした態度と地続きでした。「これだけ費用をかけているのだから、全体の状況把握も先生に任せて問題ないはず」という、任せきりの発想です。

自分の手元には、自分にとって都合のいい材料(オール5、進研模試の60、先生方の好評価)だけが残り、それを根拠に私は「うちの娘は届く」と信じていました。情報が偏っていることに、気づいてもいませんでした。

しかし、第3記事(進研模試の偏差値)や第10記事(偏差値だけで大学を決める落とし穴)でも書いたとおり、これらの数字は、私が思い込んでいたほど確かなものではありませんでした。

学校の成績は、その学校の中での相対評価です。進研模試の偏差値は、母集団の特性によって実際の入試難度との乖離があります。先生方の評価は、学校生活全体への評価であって、特定の大学への合格可能性を保証するものではありません。

ところが、私はこれらをすべて、合格可能性の「裏付け」として受け取っていました。

そして、ここからが過干渉のもう一つの顔につながります。

「これだけ材料が揃っている娘なのだから、お金をかける価値がある」

家庭教師代に大きな額を投じる判断を支えていたのは、この過大評価でした。冷静に見れば「もう一段、本人の自走する力を育てる時期かもしれない」と判断できたかもしれない局面でも、私は「材料は揃っているのだから、あとは指導の厚みで届く」と考えていました。

親が子の実力を信じることは大切です。
しかし、それが「事実から目をそらした過大評価」になっていなかったか。

私の場合は、なっていました。だから、お金の使い方の判断も、ずれていきました。

まとめ:お金は、自発性の代わりにはならない

3つの気づきを、最後にもう一度まとめます。

  1. 「お金をかけたぶん成績が上がる」という思い込み
    家庭教師の質と時間で結果は決まらない。本人がいない時間に何に向かうかで決まる。
  2. 子の希望を、親の枠組みに回収してしまった
    「公務員になりたい」という言葉に、なぜを問わず、すぐ進路の答えを返してしまった。本人の中で言葉になる前の希望を、私が先に整理してしまった。
  3. 客観的な材料を、自分の都合のいいように過大評価した
    オール5、偏差値60前後、先生の好評価。これらが揃っていたから、お金をかけても届く、と思い込んだ。

この3つは、別々の問題に見えて、根っこは一つです。

私は、子の自発性を引き出すという、もっとも時間のかかる仕事から目をそらしていた。
そして、その代わりに、お金、指導時間、進路の枠組みといった「親の側で動かせるもの」で結果を出そうとしていた。

それは、子の後ろを歩くという、佐々木正美さんが「子どもへのまなざし」で繰り返し説いた姿勢の、ちょうど逆をいくものでした(第2記事・第7記事参照)。

家庭教師代を惜しむべきだった、と言いたいわけではありません。先生方には今でも感謝しています。

ただ、お金は自発性の代わりにはなりませんでした。

子の中で「自分はなぜそこに行きたいのか」「そのために、誰に言われなくても、今日この時間に何をするのか」という芯が育っていれば、家庭教師代はその芯を支える形で生きたはずです。芯が育っていないところに費用だけを積んでも、結果には届きません。

これは、私自身が娘の受験を通して、何年もかけてようやく言語化できた気づきです。

いま、お子さんに高額な家庭教師代をかけている、あるいはこれからかけようとしている同世代の父親がいらっしゃるなら、ひとつだけお伝えしたい。

先に、お子さんと話してください。

何を目指したいのか。なぜそこを目指したいのか。家庭教師の時間以外に、自分から机に向かう習慣はあるか。

その対話の時間を惜しまず取れたなら、家庭教師代はきっと、より深く、長く効く投資になります。

私もまだ修行中です。同じ立場の父親仲間として、これからも振り返りを続けていきたいと思います。


関連記事

タイトルとURLをコピーしました