出願書類の一行から、すべては始まっていました
もう何年も前のことになります。
それでも、ふとした拍子に思い出す夜があります。受験する大学の出願書類を、私が長女に代わって埋めていた、あの夜のことです。
このブログを始めてから、私は自分の過干渉を振り返る記事を書き続けてきました。模試の判定を信じすぎたこと、進路を先回りして決めたこと、就活に口を出しすぎたこと。どれもちゃんと反省してきたつもりです。
ただ、心の奥に、もうひとつ、長女に対する「最大の失敗」があります。
それは ── 一年目の入試で、長女の選択科目を、私が独断で決めたことです。
「学歴は一生ついて回る」と言って浪人を強いた、あの判断より、出願書類の作成のほうが、ずっと重い失敗だったと、いまの私は思っています。
普段は「3つの〜」という構造で記事を組み立ててきましたが、今回はその型を一度外して、ひとつの場面から順に振り返ってみたいと思います。
出願書類を、家庭教師にも妻にも相談せず埋めた
長女は当時、学校の成績はよく、模試の結果も悪くありませんでした。私の中では、本人を信じる前に「これくらいの大学なら届くだろう」という見込みが、いつの間にか出来上がっていました。
本命は、国立大学でした。
私の頭の中では、本命の国立大学のレベルからすれば、私立は楽勝のはずだ、という油断がありました。だから、私立の出願戦略を、本気で考えなかったのです。
私立大学の共通テスト利用方式というのがあります。共通テストの点数を、私立大学に出願するときに使える制度です。受験科目を自分で選んで送る形になります。
その「どの科目を選ぶか」を、私はろくに相談もせず、自分の判断で決めました。
選んだのは、英語・国語・数学の3科目でした。
しかし長女の得意科目は、英語・国語・理科だったのです。数学は、得意科目ではありませんでした。
それなのに私は、本人の得意・不得意を冷静に見る前に、「合計点を高く出せそうな組み合わせ」を、自分の頭の中で勝手に計算してしまいました。
家庭教師についてもらっていた先生に相談すべきでした。模試の結果を一番よく知っていたのは、その先生でした。妻に意見を聞くべきでした。長女本人に「お前はどう思う?」と聞くべきでした。
そのどれもしませんでした。出願書類を、私が一人で埋めて、提出したのです。
これが、浪人を強いた時点から数ヶ月前のことです。
合格を、私は十分に祝うことができませんでした
入試の結果が出た日のことを、いまでもよく覚えています。
長女は、1年目に2つの私立大学に合格していました。決して滑り止めと馬鹿にできるような大学ではありません。むしろ、一般的には「ありがたい」と頭を下げて入学する家庭のほうが多いでしょう。
ただ、私の中には、別の情報がありました。
長女が高校2年生のとき、三者面談で担任の先生から、ある有名私立大学の法学部の指定校推薦の打診があったのです。しかも、その先生は「この子なら、もう少し上を狙ってもいい」という趣旨のことまでおっしゃいました。
つまり、指定校推薦であれば、もっと上のレベルの大学にすでに入れる見通しが立っていたのです。それを使わずに、一般受験で本命の国立大学を目指す方針を選んでいました。
そして、一年目に合格した2つの大学は、その指定校推薦で入れたはずの大学よりも、レベルが下でした。
私は娘の合格を喜ぶより先に、「指定校推薦を使わなかったのに、これでは届かなかったことになる」「もっと上を狙えるはずだった」と考えていました。
長女自身は、その合格を素直に受け入れていたようでした。「ここでもいいよ」── 後日、進学先のことを話し合うなかで、長女が口にした一言を、いまも忘れません。
しかし、私は満足しませんでした。
いま振り返ると、これは怖い心の動きです。合格は、長女が一年間努力した、まぎれもない成果でした。それを真っ先に喜ぶのが親の役目だったはずなのに、私はその瞬間を、自分の「足りなかった」という思いで上塗りしてしまったのです。
長女が手にした合格を、私はあの日、十分に祝うことができませんでした。
「学歴は一生ついて回る」と娘に言いました
合格していた大学を、長女に蹴らせて、もう一年浪人させる。── その選択を、私は最終的に押し通しました。
説得の言葉は、いまでもはっきり覚えています。
「学歴は一生ついて回る。いま一年我慢して、もう少し上の大学を目指したほうがいい」
そういう趣旨のことを、私は娘に向かって、何度も言いました。
妻は、賛成も反対もしませんでした。私の押しの強さに比べると、妻のスタンスは「中立」と呼ぶしかありませんでした。最終的な決定は、結局、夫である私の判断に委ねられる形になりました。
長女は強く反論しませんでした。声を荒らげて拒否することもありませんでした。ただ、しばらく黙ったあと、「わかった」と短く答えただけでした。
その「わかった」を、私は当時、「同意」だと受け取りました。
いまになって思います。あれは同意ではなく、父親に逆らえない年頃の娘が出した、いちばん穏当な返事だったのです。
「ここでもいい」と言っていた娘に、「学歴は一生ついて回る」と説いて、合格を蹴らせる。
書き出してみると、ずいぶん勝手なことを言う父親です。
自宅で過ごした、浪人の一年
浪人が決まってからの一年間、長女は自宅で勉強する道を選びました。
予備校に通うのではなく、家庭教師は引き続きついてもらいながら、家で勉強する形になったのです。それ自体は、長女の特性に合った選択だったと思います。集団のなかで競争するより、自分のペースで進めるほうが向いている子でした。
ただ、いま振り返って胸が痛むのは、その一年、長女が家からほとんど出なくなったことです。
合格していた大学にそのまま進学していれば、新しい友人と出会い、新しい時間を過ごしていたはずの一年でした。それを、私は遅らせてしまいました。
家のなかの会話や雰囲気が、目に見えて悪くなったわけではありません。表面的には、いつもどおりの一年でした。
それでも、合格した大学にすぐ通っていれば得られたはずの一年の経験を、私の判断によって先送りさせてしまったという事実は、いまも消えません。
本当の失敗は、その一年前にありました
長女は浪人の一年を経て、最終的にある私立大学に進学しました。一年目に合格していた大学とは別の、もう少し上の大学でした。
これも書き添えておかなければならない事実ですが、長女はその進学先で良い友人にも恵まれ、いまも自分の進路を後悔してはいません。本人にとっては、結果として悪くない場所に着地できたのだろうと思います。
それでも、私の中の後悔は消えません。
私の中での「最大の失敗」は、長女に浪人を強いたことではなく、その一年前に、出願書類の選択科目を独断で決めてしまったことのほうにあるのです。
もし、家庭教師に「うちの娘の得意科目は何ですか」と聞いていれば。
もし、長女本人に「どの科目で出したい?」と相談していれば。
もし、妻に「これでいいと思う?」と一言確認していれば。
数学ではなく、長女が得意としていた理科を選んでいれば、一年目の段階で、もう少し上の大学に届いた可能性は十分にありました。
そうなっていれば、浪人を強いる必要はなかったのです。「学歴は一生ついて回る」という説教めいた言葉を娘に投げつけることもなかったでしょう。長女が家にこもって過ごす一年もありませんでした。
すべては、出願書類の一行を、私が一人で埋めた、あの数ヶ月前の夜から始まっていました。
これは、看板記事「過干渉な親の3つの特徴」で書いた「先回りして決める」の典型例です。私はあの記事を、いまここに書いている、自分の最も生々しい失敗から書いています。
同じ立場の父親へ
子どもの受験戦略を、親が独断で決めてはいけません。
これが、長女に対して取り返しのつかない失敗をした父親として、私が同じ立場の方に伝えたい、いちばんのことです。
模試の結果を一番知っているのは、子に長く接している家庭教師や塾の先生です。子の得意・不得意を一番知っているのは、当の本人です。家庭のなかで子の様子を一番見ているのは、妻(あるいは夫)です。
そのいずれにも相談せず、父親が一人で頭の中で計算して、出願書類を埋めてしまう。── 私がやったのは、そういうことでした。
子のためを思って、ではあったのです。それは嘘ではありません。
けれども「子のためを思う」が「子の人生を勝手に設計する」にすり替わった瞬間が、確かにありました。
選択科目の一行が、その後の一年を決めました。
いま、当時の娘と同じ年頃の子を持つ父親の方が、もし出願書類の選択欄を一人で埋めようとしているのなら ── どうか、一度ペンを置いて、子に「お前はどう思う?」と聞いてみてください。
それだけのことで、私のような失敗は、避けられるはずです。
私自身は、いまも修行中です。あの一年を娘から先送りさせてしまったという事実は、私の中に消えずに残り続けています。これからも、その重みを忘れずに、子との関わり方を考え続けていきたいと思っています。
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