子供が第一志望に届かなかったとき、親は一度は迷うのではないでしょうか。
「ここで妥協させていいのか」「もう一年やれば、もっと上に行けるんじゃないか」――合格発表のあとに訪れる、この迷い。私自身、まさにこの岐路で大きな判断ミスをしました。
私は、現役で合格していた大学を娘に蹴らせ、浪人させました。本人は「ここでもいい」と言っていたのに、私が納得できなかったからです。そして一年後、娘が入ったのは、結局それほど変わらない大学でした。
今になって振り返ると、問題は「浪人したこと」そのものではありませんでした。浪人を選ぶずっと手前で、私はいくつもの判断を間違えていたのです。
この記事では、同じように「浪人させるか、現役で進ませるか」で迷っている父親に向けて、私の失敗から見えてきた3つの判断軸をお話しします。私のように後から悔やまないために、判断の前にぜひ考えてみてください。
浪人は「もう一年やれば伸びる」とは限らない
まず、世間でよく語られる前提を疑うところから始めたいと思います。
「あと一年あれば、現役のときより伸びる」――これは、必ずしも正しくありません。
予備校各社の解説を見ても、浪人には一年間じっくり苦手と向き合える時間ができるという明確なメリットがある一方で、現役時代に合格していた大学に翌年は落ちてしまう人もいるのが現実だと率直に書かれています。一年が成長につながるかどうかは、本人の取り組み方次第なのです。
特に、塾や予備校に通わず自宅で勉強する「宅浪(自宅浪人)」は、強い意志と自律力が必要とされ、もともと自分で学習を管理できるタイプに向いた方法だと説明されています。逆に言えば、一人でコツコツ続けるのが苦手な子の場合、現役のときより成績が落ちてしまう可能性すらある、ということです。
つまり「浪人すれば伸びる」のではなく、「自分で計画を立てて、一年間ひとりで走り続けられる子なら、浪人で伸びる可能性がある」というのが正確なところです。この前提を取り違えていたことが、私の失敗の出発点でした。
判断軸1:子供の学力を、親の「期待」で見ていないか
私が最初に間違えたのは、娘の学力を実態よりも高く見積もっていたことです。
当時の私には、自信の根拠がありました。娘の高校の成績表はほぼオール5。そして高2のときに受けた模試の偏差値は60を超えていました。「これだけの成績なら、もっと上の大学を狙える」――そう思い込んだのです。
ところが、これは大きな勘違いでした。娘が受けていたのは、多くの高校が校内で実施する、基礎から標準レベルを想定した模試でした。後になって知ったのですが、この種の模試で偏差値60は、より受験者層の厳しい大手予備校の模試に換算すると、偏差値50前後にまで下がることも珍しくないのだそうです。
実際、ある医学部受験の指導者の解説でも、校内で広く受ける模試で偏差値60の受験生が、河合塾の全統模試では偏差値55、駿台の全国模試では偏差値50になっても不思議ではない、と説明されています。模試によって母集団のレベルが違うため、偏差値の出方がまるで変わるのです。
私はその違いを知らず、いちばん数字が大きく出る模試の偏差値だけを見て、「うちの子は上位層だ」と信じ込んでいました。学校の成績がいいことも、その思い込みを後押ししました。
冷静に考えれば、これは娘の実力を見ていたのではなく、私が見たかった娘の姿を見ていただけでした。模試の数字の意味を調べもせず、親の期待というフィルター越しに子供を評価していた。浪人という決断は、この過大評価の上に積み上がっていたのです。
模試の偏差値の読み方については、別記事「進研模試の偏差値はそのまま信じてはいけない理由」でも詳しく書いています。同じ失敗を、私は何度も繰り返していました。
子供の学力を判断するときは、「どの模試の、どういう母集団の中での数字なのか」を必ず確認してください。そして一度、「自分は子供を実際より高く見ていないか」と自問してほしいのです。
判断軸2:確実な選択肢を、「もっと上」のために手放していないか
二つ目の失敗は、もっと根が深いものでした。
実は娘は、現役のときに、ある難関大学の学部へ指定校推薦で進める状況にありました。高校での評定を積み上げてきた成果です。学校の先生からも打診があり、本来ならそのまま、確実に合格できるはずでした。
ところが私は、その推薦を辞退させました。高3になる前のことです。「これだけの成績なら、推薦に頼らなくても一般入試でもっと上を狙える」と考えたからです。確実に手に入る合格を、「もっと上」という不確かな可能性のために、自分から手放させてしまったのです。
結果はどうだったか。娘が現役の一般入試で受かったのは、推薦で入れたはずの大学よりも、レベルの下がる大学だけでした。確実な一枚を捨てて挑んだ勝負に、娘は届かなかったのです。
そして、ここからが私の最大の過ちでした。本人は「ここでもいい」と言っていました。それなのに私は、「学歴は一生ついて回る」と娘に言い、浪人を選ばせたのです。
この判断軸で伝えたいのは、「確実に手に入る選択肢」の価値を、親が軽く見てはいけないということです。指定校推薦のように、子供が努力して積み上げてきた確実な道は、それ自体が立派な成果です。それを「もっと上があるはずだ」という親の欲で手放させるとき、親は子供の積み上げてきたものを否定していることになります。
指定校推薦の仕組みや、評定の積み上げがどれだけ早くから始まっているかについては、別記事「指定校推薦を逃さないために高1から知るべきこと」も参考にしてください。
「もっと上を狙えるはずだ」と思ったとき、その「上」は本当に子供が望んでいるものなのか、それとも親が望んでいるものなのか。一度立ち止まって、確かめてほしいと思います。
判断軸3:現役の結果を、子供は受け入れているか
三つ目は、浪人を決断する、まさにその瞬間についてです。
繰り返しになりますが、娘は現役で受かった大学について「ここでもいい」と言っていました。本人の中では、もう答えが出ていたのです。
それを上書きしたのは、私の「納得できない」という気持ちでした。受験のためにかけてきた費用は、家計の中でも決して小さくない額でした。「これだけのお金をかけて、この結果では納得がいかない」――そんな思いが、私に「学歴は一生ついて回る」と言わせ、娘を自宅浪人へと向かわせました。
けれど、ここで私が向き合うべきだったのは、自分の納得ではなく、娘の納得だったはずです。子供自身が現役の結果を受け入れているなら、それを親の「もったいない」で覆していいのか。今振り返れば、答えははっきりしています。
自宅で過ごした浪人の一年、娘は家からほとんど出なくなりました。引き続き勉強を見てもらってはいましたが、一人で家にこもる日々の中で、学力が大きく伸びることはありませんでした。先ほど触れたとおり、自宅浪人は強い意志と自律性が要る勉強法です。自分で受験に向かって走り続けられるタイプではなかった娘にとって、一人きりの一年は、必ずしも実りある時間にはなりませんでした。
そして一年後に進んだのは、現役のときと、それほど変わらない大学でした。
このとき私は、二つのことを取り違えていました。一つは、お金をかけたことへの自分の未練を、子供の進路の判断材料にしてしまったこと。もう一つは、結果を受け入れていた子供の気持ちを、信じてあげられなかったことです。
浪人という選択は、本来、本人が「もう一度挑戦したい」と望んだときに、初めて意味を持ちます。親の納得のためにさせる浪人は、子供にとって、自分の人生を生き直す一年にはなりません。
まとめ:いちばんの「先回り」は、子供をよく見ること
3つの判断軸を振り返ります。
ひとつ、子供の学力を、親の期待というフィルター越しに見ていないか。ふたつ、確実に手に入る選択肢を、「もっと上」のために手放させていないか。みっつ、現役の結果を子供自身が受け入れているなら、親の未練でそれを覆していないか。
この3つは、結局のところ同じひとつのことを言っています。私は、目の前の娘そのものではなく、「こうあってほしい」という自分の理想を見ていた、ということです。
浪人させるか、現役で進むか。この問いに、唯一の正解はありません。本人が心から「もう一度挑戦したい」と望み、一年間自分で走り続けられる子であれば、浪人は確かな成長の機会になり得ます。けれど、本人が結果を受け入れているのに、親の納得のために浪人を選ばせるなら、それは子供のための一年ではなく、親のための一年になってしまいます。
あのとき、学校の先生の判断と、娘自身の意思に任せていれば。指定校推薦の道を、素直に喜んでいれば。私はそう悔やんでいます。
最後に、ひとつだけ付け加えさせてください。娘は遠回りの末に進んだ大学で良い友人に恵まれ、今は自分の道を歩んでいます。私の失敗にもかかわらず、自分の人生を後悔せずに生きてくれている。それが、せめてもの救いです。
完璧な親はいません。私もまだ修行の途中です。それでも、もしあなたが今まさに「浪人させるべきか」と迷っているなら、決断の前に、どうか一度だけ、お子さんの顔をよく見てあげてください。いちばんの「先回り」は、子供をよく見ることだったのだと、今の私は思っています。
この受験をめぐって私が犯した、もうひとつの大きな失敗については、別記事「私が娘の受験で犯した最大の失敗」にも書いています。あわせて読んでいただけたら嬉しいです。

