偏差値で大学を決めようとした父親が、後から気づいた3つのこと

イメージ写真 進路選択
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導入

子の高校時代、模試の判定が良いと、つい「もっと上を目指せるかもしれない」と心が動き出す親がいます。私自身が、まさにそうでした。

子の大学選びを「偏差値」で先回りして考えてしまう ─ これは過干渉な親が陥りやすい典型的な落とし穴です。私は長女の進路で、まさにこの落とし穴に足を取られました。

ただ、結果として娘は、私の先走った進路ではなく、自分が最終的に決めた別の大学に進学しました。そこで良い友人にも恵まれ、いまも幸せに過ごしています。

そう振り返ると、ある疑問が浮かびます。

「私の先走りは、本当に必要だったのか?」

退職して時間ができ、当時を冷静に振り返って気づいた3つのことを、同じ立場の父親仲間にお伝えします。

偏差値で大学を決めることの落とし穴

まず、一般論として、偏差値だけで大学を決めることには、明確なリスクがあります。

文部科学省の調査によると、大学中退率は年々上昇していて、令和5年度には2.10%となりました。中退理由の最も多いのは「転学・進路変更等」で、全体の22%を占めています。

そして、その中退の主な背景にあるのが、入学後のミスマッチです。「思っていた勉強ができない」「イメージしていた学生生活が送れない」── こうした理由で、せっかく入った大学を去る学生が一定数いるのです。

偏差値は「届くかどうか」の目安にはなります。しかし、「行くべきかどうか」の答えではないのです。

ここを取り違えると、入学がゴールになってしまい、入学後の長い時間に苦しむことになります。これは、過干渉な親が子に押し付けてしまいやすい構造でもあります。

気づき1:1度の模試で「目指せる」と判断したのは、早すぎた

長女が高校2年生のとき、進研模試で偏差値60前後の結果が返ってきたことがありました。学校の成績はオール5。私は「これは相当できる方だ」と思い込みました。

模試の結果は、そのとき1度しか見ていません。それなのに、私はすぐに動き出しました。超難関国立大学を視野に入れた進路を考え、家庭教師を手配し、本人にも「目指せるレベルだ」と話したのです。

退職後に振り返ると、これは明らかに早すぎる判断でした。

理由は、いくつかあります。

ひとつは、進研模試の偏差値が、他の全国模試より高めに出る傾向があることです。受験する母集団が異なれば、同じ実力でも偏差値の数値は変わります。1度の進研模試の偏差値だけを根拠に「相当できる」と判断するのは、データの読み方として粗かったと、いまは思います(進研模試の偏差値の特性については、第3記事「進研模試の偏差値はあてにならない?」で詳しく書きました)。

もうひとつは、1度の結果は、たまたまかもしれないということです。模試の結果は、その日の体調、出題された問題との相性、いろいろな要素で揺れます。複数回の結果を並べて、初めてその子のおおよその実力が見えてきます。

そして何より、模試の偏差値は「現時点での到達度」を示しているだけで、「子の可能性」を表しているわけではありません。

親が偏差値の数字に一喜一憂しないこと。複数回の結果と、本人の意思の両方を、時間をかけて見ること。これが、まず私が学んだ反省です。

気づき2:「目指せる大学」と「行きたい大学」は、別の話だった

私は長女に「目指せるレベルだ」と話しました。これは私の中では「偏差値的に届く」という意味の言葉でしたが、いま振り返ると、無意識のうちに「親が望む進路」を子に伝えていた面があったと思います。

子が「親の安心を満たすため」に偏差値の高い大学を目指す ─ これは、本来あるべき進路選択ではありません。

本人が学びたいこと、興味のある分野、卒業後にどんな道に進みたいか。こうした「子自身の問い」を、ゆっくり育てる時間が必要だったはずです。

私の先走りは、その時間を奪った可能性があります。

結果として、長女は超難関国立大学には進みませんでした。最終的には別の大学に進学しました。そして、その大学で良い友人にも恵まれ、本人はいまも後悔していない様子です。

これは結果論かもしれません。でも、結果から見れば明らかに ─ 子は子で、自分にとっての良い道を見つけていたのです。

「偏差値で届く大学」を親が考えるよりも、「子が学びたいこと」を子自身に考えてもらう。「子の卒業後の像」を一緒に話し合う。そういう時間のほうが、長期的にはずっと意味があったのではないか。

偏差値だけで「目指せる大学」を選ぼうとしている父親仲間がいれば、ぜひこの問いを持ってほしいと思います。

子は、その大学で何を学びたいのか。卒業後、何になりたいのか。それは、親が決めることではない。

気づき3:親の先走りは、必要なかった可能性が高い

3つ目の気づきは、もっと根本的なものです。

当時の私は、長女の進路は「親が動かないと決まらない」と感じていました。だから家庭教師を手配し、目標を伝え、勉強の方向を決めようとしました。

でも、振り返ると、長女は最終的に自分のペースで進学先を決め、自分の人生を歩んでいます

ここで、私が抱えた問いがあります。

「もし私が先走らずに、ただ見守っていたら、長女はどんな進路を選んでいただろうか?」

もしかしたら、もっと早く自分の意思を固めていたかもしれません。もしかしたら、まったく別の道を選んでいたかもしれません。どちらにせよ、「親の先走りがなくても、子は自分の道を見つけられた可能性が高い」 と、いまの私は思います。

過干渉な親には、共通する思い込みがあります。「自分が動かないと、子の進路は決まらない」。「親が情報を集め、判断し、道を作ってあげないと、子は迷子になる」。

でも、本当にそうでしょうか。

子は、親が見ていない時間に、ちゃんと自分で考えています。学校で、友人と話しながら。家で、ひとり机に向かいながら。子は子なりに、迷い、考え、決めています。

親の役割は、「決める」ことではないのです。

見守る」こと。子が考えるための時間と材料を、邪魔せずに渡すこと。そして、相談されたら、情報源として答える。それで、十分なのだと思います(この姿勢については、第7記事「『子どもへのまなざし』(佐々木正美)に教えられた、過干渉から離れるための3つのこと」で深掘りしました)。

子の力を信じきれなかったのは、私の方だったのです。

まとめ

偏差値で大学を決めようとした私は、後から振り返って、3つのことに気づきました。

1度の模試で判断するのは早すぎた。
「目指せる大学」と「行きたい大学」は別の話だった。
親の先走りは、必要なかった可能性が高い。

長女は最終的に自分の選んだ大学で、自分の道を歩んでいます。良い友人にも恵まれ、いまも幸せに過ごしている様子です。

私が当時、もっと子の力を信じて、ただ見守っていたら、何が変わったでしょうか。たぶん、本人がより早く、自分のペースで進路を決められた ─ そういう未来があったのかもしれません。

過干渉だった私は、まだ修行の途中です。それでも、同じ立場の父親仲間に、何か参考になれば幸いです。

子の偏差値表を見ながら焦りそうになる夜には、ぜひ思い出してください。子は、親が思うよりずっと、自分の道を見つける力を持っていることを。


(過干渉な親の特徴と抜け出すための具体策は、看板記事「過干渉な親の3つの特徴」で全体像を整理しています)

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