思春期に入った娘との距離感に、戸惑っている父親は多いのではないでしょうか。
踏み込んでいいのか、引いて見守るのが正解なのか。私もずっと悩みました。そして、その悩みの末に私が選んだのは「引いて見守る」ではなく、もっと正直に言えば「どう関わっていいか分からないまま、結果として引いていた」というものでした。
長女が中学に入ってから高校2年の終わりまで、私は娘の勉強にも進路にもほとんど関わりませんでした。何気ない会話はしました。学校で何があったかも、妻からそれとなく聞いていました。けれど、机に向かう娘の隣に座って一緒に問題を眺めたり、進路の話を膝を突き合わせてしたりということは、ほぼ一度もありませんでした。
引いていた、と言えば聞こえはいいかもしれません。けれど実際には、踏み込もうとしてもどうしていいか分からず、立ち尽くしているうちに時間が過ぎていった、というのが正直なところです。
過干渉を反省する記事を書き続けてきた私ですが、もう一つの極端である「過小関与」、つまり引きすぎることもまた、立派な誤りだったと、いまは思っています。同じように思春期の娘と距離が空いてしまっている父親に、私の失敗をお伝えします。
中学入学から、私と長女の距離は静かに広がっていった
長女が中学に入ったあたりから、私と長女の生活時間は大きく変わりました。
部活が始まりました。朝練があり、夕方も練習があり、帰宅は7時を過ぎる日が普通になりました。夕食を一緒に取る時間こそ確保できていましたが、それ以外で親子が向き合って話す時間は、目に見えて減っていきました。物理的に時間が合わないのです。
それでも、何気ない会話はありました。テレビの話、夕飯の話、ニュースの話。けれど、勉強のこと、友人関係のこと、将来の希望のことには、私は意識して触れませんでした。触れなかったというより、触れ方が分からなかった、と言うほうが正確かもしれません。
そんなある日のことでした。何かの拍子に長女から「うざい」と言われたのです。何を話していたときだったか、いまとなってはっきりとは思い出せません。ただ、その一言を聞いたときの、自分の中で何かが固まった感覚だけが残っています。そんな言葉遣いをする子ではなかったからです。思春期の一面なのだろうと頭では理解しても、私はその一言で大きなショックを受けました。
それ以来、長女に何か踏み込んだことを言おうとするたびに、私の中ではブレーキがかかるようになりました。「どうせ親の言うことなんか聞かないだろう」と先回りして引いてしまう。きちんと向き合えば違ったのかもしれません。けれど私には、その向き合い方が分かりませんでした。
成績が下がってきた時期もありました。妻からそれとなく聞いていました。それでも、私はどう接していいか分からなかった。机に向かう長女の部屋を覗いて何を言えばいいのか、テストの結果を一緒に見て何を伝えればいいのか、私には何ひとつ手応えがありませんでした。
妻もまた、長女とは適度な距離だったように記憶しています。母娘の間で密に何かを話している様子はなく、家族としては穏やかな、けれどどこか淡白な日常が続いていました。
正直に言えば、私は長女との関係を「十分だ」と思ったことは一度もありませんでした。ただ、何をしていいか分からなかった。それだけのことでした。
中3の高校受験も、妻と長女に任せていた
長女が中学3年になり、高校受験を迎えました。
普通であれば、ここで親が本格的に関わるはずです。志望校を一緒に考え、模試の結果を見て、塾の使い方を相談する。そういう関わり方をしている家庭は、まわりにもたくさんありました。
しかし、私はそうしませんでした。
「本人と妻に任せていればいい」と自分に言い聞かせて、長女の高校受験には事実上関わりませんでした。本心では、それで十分だと思っていたわけではありません。けれど、踏み込むきっかけが見つからない。踏み込んでも「うざい」と言われるかもしれない。そう思うと、足が止まってしまうのです。志望校がどこなのか、本人がどんな高校生活を望んでいるのか、私は最後までよく分からないままでした。
それでも長女は、自分で高校を選び、自分で受験して、合格していきました。
そのとき私は、自分の判断が正しかったように感じてしまいました。「ほら、やはりこの子は自分で何とかする子だ」「思春期の娘には、引いていたほうが結果は出るのだ」。結果が良かったことで、過程に対する違和感を脇に置いてしまった。中学3年間続いてきた距離感は、合格通知という一つの結果によって、むしろ肯定されてしまったのです。
このとき、もう少し違和感を持つべきだったのです。けれど、結果が良いと、人はその過程に疑問を持たなくなります。私はその典型でした。
高校に進学してからも、勉強の話はほぼしなかった
高校生になっても、長女の生活はやはり部活が中心でした。
高校の部活は中学のときよりさらに本格的で、練習が長引くと帰宅が夜10時を過ぎることもありました。家にいる時間そのものが短く、机に向かう娘の隣に座って一緒に勉強を眺めるような場面は、現実問題として作りにくかったのです。
しかし、いま振り返ると、これも私の言い訳の一つでした。本気で関わろうと思えば、夕食の場でもいい、休日でもいい、なにかしらの時間は作れたはずです。けれど私は、その時間を作る一歩を踏み出せませんでした。中学のときの「うざい」が、ずっと頭のどこかに残っていたからかもしれません。
机に向かっている娘の部屋を覗くこともなく、定期試験の結果を一緒に見ることもなく、模試の偏差値を尋ねることもありません。妻からの「今回は前より良かったらしいよ」「あの教科が苦手みたい」という二次情報が、長女の高校生活についての私の理解のすべてでした。
学校の先生からの評価は悪くないようでした。成績も悪くないと聞いていました。何気ない会話の中で長女が見せる表情も明るく、家の中ではいつも通りの日常が続いていました。問題はない、と私は思いたがっていました。
そして高校2年の冬がやってきます。
高2の三者面談で、私は初めて気づいた
長女が高校2年の三者面談を迎えたとき、進路の話が現実のものとして家庭にやってきました。担任の先生から、ある大学の指定校推薦の打診があり、私はそこで初めて、久しぶりに長女の進路と正面から向き合うことになりました。
そして気づいたのです。
私は、長女について、ほとんど何も知らなかった。
どの科目が得意で、どの科目が苦手なのか。どんな学問に興味を持っているのか。将来どんな仕事に就きたいと思っているのか。どんな大人になりたいと考えているのか。妻経由の断片的な情報しか持っていない私には、これらの問いに自信を持って答えることができませんでした。
それでも、進路の判断は迫られます。情報が乏しいまま、私は自分の物差しで判断を下していくことになりました。その先に何が起きたかは、別の記事(「私が娘の受験で犯した最大の失敗」)に詳しく書きました。ここでは触れません。
ここで書きたいのは、その判断ミスの「前段階」にあった、私の長い長い「関わらなさ」のことです。
振り返って気づいた、3つの誤算
中学から高2の終わりまでの数年間。私は「思春期の娘とどう関わっていいか分からない」まま、結果として引きっぱなしになっていました。いま振り返ると、その時間にはいくつかの大きな誤算がありました。整理すると三つになります。
誤算1:「どうせ親の言うことなんか聞かない」と先回りで引いてしまった
私が長女に踏み込めなかった一番大きな理由は、「うざい」と言われた経験から、「どうせ親の言うことなんか聞かないだろう」と先回りで思い込んでしまったことでした。
思春期の娘に踏み込んで拒絶されるのは、父親にとってかなりこたえます。私は二度目の拒絶を恐れて、踏み込むこと自体を諦めていました。同時に、「自分でできる子だから」と自分に都合のいい解釈も添えて、引いている自分を肯定しようとしていました。
しかし、子どもが「自分でできている」ように見えるのと、子どもが「自分の本当の希望を親に伝えている」のは、まったく別のことです。
長女は、こちらが踏み込まない限り、自分から進路の希望や悩みを語ってくる子ではありませんでした。それは長女が淡白だったからではなく、おそらく、こちらが踏み込まないという姿勢を、長女もどこかで感じ取っていたからなのだと思います。
「うざい」の一言は、思春期の入口で誰の口からも出る、ありふれた一言だったのかもしれません。それを「拒絶」と受け取り、その後の数年間、踏み込みを諦めてしまった私の方こそ、未熟だったのです。
子どもの希望は、引き出さない限り出てきません。とくに、こちらが先回りで諦めた瞬間から、その子は親に希望を語る理由を完全に失ってしまいます。
誤算2:妻経由の情報だけで、長女を理解しているつもりになっていた
二つ目の誤算は、私が長女についての情報を、ほぼすべて妻経由でしか得ていなかったことです。
妻からもたらされる情報は、もちろん貴重なものでした。けれどそれは、妻というフィルターを一度通った情報であり、しかも要点だけが抜き出された二次情報でした。長女が机に向かっているときの表情、口元の引き締まり方、テスト結果を見せに来たときのトーン、進路のパンフレットをめくる手の動き ── そういう、言葉にならない情報は、妻経由の伝聞では絶対に伝わってきません。
私はそのことに気づいていませんでした。妻から「今回はがんばっていたみたい」と聞けば、それで長女のがんばりを理解した気になり、「あの科目が苦手みたい」と聞けば、それで長女の苦手を把握した気になっていました。
しかし、親としての観察の解像度は、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の言葉でやりとりしないと、上がっていきません。妻経由の情報だけで「長女を理解している」と思い込んでいたあの数年間、私の解像度はずっと下がり続けていました。
しかも、その「妻経由の情報すら、自分から取りに行っていなかった」というのが、もう一段下の問題でした。妻のほうから話してくれたことを受け取るだけで、こちらから「最近どうしている」と尋ねることが少なかった。情報の流れも受け身だったのです。
誤算3:関わっていないからこそ、いざというときに自分の物差しでしか判断できなかった
三つ目の誤算が、いま振り返って一番痛いところです。
高2の三者面談で進路の判断を迫られたとき、私には長女についての具体的な情報が乏しすぎました。長女の興味、得意、苦手、将来の希望 ── これらについて、自分の中に確かな手応えのある材料がほとんどなかった。
そうなったとき、人はどうするか。自分の物差しで判断するしかなくなります。
私の物差しは、私の世代の、私の職業の、私の経験からしか作られていません。「この学部は実生活で役に立つ」「この資格は将来安心できる」「この大学のレベルなら世間に通用する」。これらの基準は、私が数十年生きてきた中で身につけてきた、私自身の物差しです。
その物差しは、長女の物差しではありません。
もし私が、中学から高2までのあいだに、もう少し長女に踏み込んで、長女の興味や希望や違和感を聞き取ることができていたら、三者面談のときの判断はもっと違ったものになっていたはずです。少なくとも、長女自身の物差しを、ある程度は判断に含めることができたはずです。
しかし私は、それをしなかった。だから、自分の物差しを使うしかなかった。
「日常の解像度の欠如が、いざというときに自分の物差ししか使わせなかった」── これが、いま振り返って気づく、私の最大の誤算です。
次女のときは、最初から関わることにした
ここまで長女との関わりを書いてきましたが、次女についても、私は最初は同じように引いていました。次女が中学に入ってからしばらくの間、私は次女の勉強にもほとんど関わっていませんでした。長女のときと同じ感覚で、「本人と妻に任せていればいい」と思っていたのです。
転機は、次女が中学2年の終わりにやってきました。
志望校が危ないかもしれない、という話が出てきたのです。長女のように「自分でできる」と言える状況ではありませんでした。本気で危うかった。
そのとき初めて、私は次女の勉強に関わり始めました。「引いて見守る」と言っていられる状況ではなかった、というのが正直なところです。要領も分からず、本人にどう声をかけていいかも分からず、最初の数か月は本当にしんどかったのを覚えています。
それでも、関わり続けました。そして、志望校に合格したとき、私は本当に嬉しかった。同時に、ある実感がはっきりと残りました。
「あとから慌てて関わるのは、本当に大変だ」
この実感があったので、次女の高校生活では、最初から関わることにしました。机に向かう次女の隣に座って一緒に問題を眺めたり、模試の結果を一緒に見たり、進路のパンフレットを一緒にめくったりしました。それが「正解」だったかどうかは分かりません。今でも模索中です。けれど、長女のときのような「自分の物差ししか使えない判断」になることだけは、避けられたのではないかと思っています。
振り返ると、私は長女に対しても、次女に対しても、最初は同じように引いていました。違いは、次女のほうは状況の緊急性が父親を否応なく関わらせたという、ただそれだけのことです。長女のほうにそういう転機が来ないまま、いざというときが来てしまったというのが、いまの私の理解です。
まとめ ─ 同じ立場の父親へ
思春期の娘と距離が空いていく時期は、たしかにあります。それを否定するつもりはありません。
けれど、「引いて見守る」と「どうしていいか分からず立ち尽くしている」のあいだには、決して小さくない違いがあります。引いて見守るというのは、子どもの判断を尊重しつつも、観察の解像度は落とさず、いざというときに自分の物差しではなく子どもの物差しで判断できるだけの材料を持っておくこと。一方、立ち尽くしているというのは、それらをすべて先送りにしてしまうことです。
私は後者をしていました。そしてその「先送り」が、長女の人生の大事な場面で、父親として最悪の判断ミスを引き起こしました。
過干渉が誤りであるのと同じくらい、関わらなさもまた誤りです。両極端のあいだの、ちょうどよい関わり方は、結局のところ、子どもとの日常の積み重ねの中でしか見つかりません。日常の中で「うざい」と言われることがあるかもしれません。それでも引かない、諦めない、踏み込み続ける ── 思春期の娘との関わりに必要なのは、たぶんそういう種類の粘り強さだったのだと、いまは思います。
子どもの後ろを歩くというのは、関わらないことではない。これは、別の記事(「子供の後ろを歩くとはどういうことか」)にも書いたことです。後ろを歩くからこそ、子どもの背中をしっかり見続けていなければなりません。背中を見続けるためには、ある程度の距離で、ある程度の関わりを保ち続ける必要があります。
私自身、いまも修行中です。同じように悩んでいる父親仲間の、何かの参考になれば幸いです。

