子供が誰とどう付き合うか。
親であれば、まったく気にならないという人のほうが少ないでしょう。あの子と仲が良いらしい、最近付き合う相手が変わったようだ、急に連絡を取り合っている友達がいる。そういう小さな変化に、私たちはつい反応してしまいます。
私自身は、子供たちの友人関係に「あの子とは付き合うな」と直接口を出したことは、ほとんどありませんでした。誰と仲良くするかは本人が決めることだ、という気持ちは一応持っていたつもりです。
それでも、振り返ると「あれはまずかった」と思う場面がいくつかあります。直接「友達を選べ」と言ったわけではない。でも、心配や、勉強への思いや、親としての不安から、結果として娘の友人付き合いの場面に踏み込んでしまった。そういう失敗です。
この記事では、二人の娘との間で私が実際にやってしまったことを正直に書きながら、「子供の友人関係に親はどこまで関わってよいのか」を一緒に考えてみたいと思います。先に断っておくと、私はここでも上手にはやれていません。あくまで一人の父親の失敗談として読んでいただければと思います。
子供の友人関係に「唯一の正解」はない
まず、一般的なところから整理しておきます。
子供の友人関係に親がどこまで関わるべきかは、専門家の間でも意見が分かれるテーマです。「基本的には見守るべきだ」という立場もあれば、「気になることがあれば一緒に考えてあげるべきだ」という立場もあります。調べてみると、対応すべき問題の種類によって「見守るべき」と「親も関わるべき」が正反対に書かれていて、ひとつの確実な正解があるわけではない、という解説に行き当たりました。
ただ、ある程度共通して語られていることはあります。
ひとつは、いじめや暴力など、子供の安全が脅かされている場合は、親や学校がはっきり関わる必要があるということ。これは「介入してよいか」を迷う以前の話です。
もうひとつは、それ以外の日常的な友人関係については、親が先回りして解決してしまうと、子供が自分で人間関係を築いたり、トラブルを乗り越えたりする力を奪ってしまう、ということです。断られたり、もめたり、気まずくなったりする経験そのものが、子供にとっての練習の場になる。親がそこに手を出すと、その練習の機会が消えてしまう。
そして、思春期から青年期にかけては、子供は「親から自立し、仲間との関係の中で自分の価値観を育てる」という発達の課題に取り組んでいるとされます。この時期、子供にとって友達は、親以上に大切な存在になっていきます。だからこそ、子供は友人関係に親が踏み込んでくることを、強く嫌がるようにもなります。
頭では、私もこういうことを分かっていたつもりでした。それでも、いざ自分の娘のこととなると、うまくできなかったのです。
長女のとき ─ 「見守る」が「見張る」になっていた
長女は、高校三年生になっても部活に熱中していました。これは別の記事でも書いたとおりです。
ある日、習い事の送り迎えの都合があって、私は部活の終わる時間に合わせて学校へ迎えに行くことになりました。ところが、時間になっても娘が出てこない。練習が長引いていたのです。
待っているうちに、私はだんだん苛立ってきました。そして、部活の練習をしている場所まで自分で出向いて、腕組みをして、おそらくかなり怖い顔で中の様子を睨んでいたのだと思います。
後から、娘の部活仲間が「あなたのお父さん、ちょっと怖かったよ」と言っていた、と娘づてに聞きました。
そのときは「迎えに来てやっているのに」という気持ちが先に立って、自分の振る舞いを深くは考えませんでした。でも今振り返ると、あれは娘の仲間たちが活動している場に、機嫌の悪い親がいきなり踏み込んで、空気を固くした場面だったわけです。
私は娘の友人関係に「口を出した」つもりはありませんでした。けれど、娘が仲間と過ごしている時間と空間に、不機嫌な顔で割って入ってしまった。それは、本人にとっても、その場にいた友達にとっても、決して気持ちの良いものではなかったはずです。「見守っている」つもりが、いつの間にか「見張っている」になっていた。そう言われても仕方のない振る舞いでした。
長女のとき ─ 心配のあまり、友達の家庭にまで確認させた
もうひとつ、長女に関して、今思い出しても恥ずかしい出来事があります。
長女には、幼い頃からの幼馴染がいました。高校から大学にかけては、生活が変わって自然と疎遠になっていたようです。それが、ある時期に急に先方から娘へ連絡があって、二人で食事に行くことになった、と娘が話していました。
私はこのとき、妙に不安になってしまったのです。
ずっと連絡がなかったのに、なぜ急に。しかも、待ち合わせの店や場所の話を聞くうちに、私の頭の中では「もしかして、何かの勧誘ではないか」という疑いがふくらんでいきました。今思えば、何の根拠もない思い込みです。久しぶりに連絡を取り合う友達同士が会う、ただそれだけのことだったのに。
ところが私は、その不安を自分の中で処理できませんでした。妻に頼んで、幼馴染のお母さんに「変な団体の勧誘とか、やっていないよね」と確認してもらったのです。
幼馴染のお母さんの返事は、「心配性なんだね」というものでした。
この一言が、すべてを言い表していると思います。私の心配は、まったくの杞憂でした。後で聞けば、その幼馴染は仕事の悩みを抱えていて、昔からの友達である娘に、それを話したかっただけだったのです。娘とその幼馴染は、何の問題もなく、ただ久しぶりに会って、近況を語り合っただけでした。
私がしたことを、冷静に振り返ってみます。成人した娘が、昔からの友達と会う。それだけのことに対して、私は勝手に最悪のシナリオを思い描き、しかも本人にではなく、相手の家庭にまで探りを入れた。娘の友人関係を、親が裏から検分しようとしたわけです。
幸い、相手のお母さんが穏やかな人で、笑って受け流してくれたからよかったものの、一歩間違えれば、娘と幼馴染の関係にも、家庭同士の関係にも、ひびを入れかねない振る舞いでした。
次女のとき ─ 勉強を理由に、友達との約束をやめさせた
次女に関しては、もっとはっきりと「介入してしまった」場面があります。
次女が中学三年生のとき、体育祭か何かの行事のあとに、仲の良い友達同士で打ち上げをやろうという話になりました。ところが、その翌日が実力テストの日だったのです。
当時の私は、次女の学力が伸び悩んでいることをとても気にしていました。模試や実力テストの結果を、必要以上に重く受け止めていた時期です。だから、「テストの前日に遊びに行くなんてとんでもない」と思いました。
そして私は、次女に「行くな」と言いました。
次女は、友達に泣きながら電話をしていました。「行けなくなった」と。その声を、私は今でも覚えています。
そのときは、これも親の務めだと思っていました。大事なテストの前なのだから、遊びを我慢させるのは当然だ、と。
ところが、後になって知ったのです。その打ち上げは、次女が中心になって、仲の良い友達に声をかけて企画したものだったということを。
つまり私は、娘が自分から友達を誘って作った、娘にとって大切な場を、勉強を理由に取り上げてしまったわけです。テストの点数を心配するあまり、娘が自分の手で築こうとしていた友人関係の一場面を、親の判断で潰してしまった。
正直に言えば、テストの前日に遊びに行くことが、絶対に正しいとは私は今でも思いません。けれど、あのとき私が見ていたのは、次女の友人関係でも、次女の気持ちでもなく、ただ翌日のテストの点数だけでした。娘がその打ち上げをどれだけ楽しみにしていたか、それが娘にとってどういう意味を持つ集まりだったか、私は何も考えていなかったのです。
振り返って気づいた、踏み込む線と引く線
三つの場面に共通しているのは、私が「友達を選ぶな」と直接言ったわけではない、ということです。それなのに、結果として、娘たちの友人付き合いの場面に、私はことごとく踏み込んでしまっていました。
なぜそうなったのか。振り返って気づいたことを整理します。
ひとつめ。私が踏み込んだのは、いつも「友人関係そのもの」ではなく、自分の「心配」や「不安」を解消するためでした。迎えが遅れた苛立ち、勧誘への思い込み、テストへの焦り。動いていたのはどれも私の感情で、娘の側に起きていたことではありません。子供の友人関係に手を出したくなったとき、本当に子供のために必要なのか、それとも自分が安心したいだけなのか。そこを見分けることが、まず必要だったのだと思います。
ふたつめ。私は、娘たちが友達と過ごす時間を、自分の物差しで軽く見ていました。部活仲間と過ごす時間、幼馴染と再会する時間、自分で企画した打ち上げ。どれも娘にとっては、自分の世界を広げ、仲間との関係を育てる、かけがえのない時間だったはずです。思春期から青年期にかけて、子供は仲間との関係の中で自分の価値観を育て、親から少しずつ自立していくと言われます。私が「たかが」と思って踏み込んだ場面は、本人にとっては「たかが」では決してなかった。
みっつめ。それでも、親が関わってよい線は確かにある、ということです。いじめや暴力、子供の安全が脅かされる場面では、親ははっきりと動くべきです。問題は、その線を越えていないことにまで、私が心配のあまり手を出していたことでした。安全に関わることなら踏み込む。そうでないなら引いて見守る。その線引きが、当時の私にはできていませんでした。
まとめ ─ いちばんの心配は、子供を信じること
子供の友人関係に、親はどこまで介入してよいのか。
私なりの今の答えは、「子供の安全が脅かされているとき以外は、基本的に引いて見守る」というものです。そして、踏み込みたくなったときは、それが本当に子供のためなのか、自分が安心したいだけなのかを、一度立ち止まって確かめる。
偉そうに書いていますが、これは全部、私が失敗したからこそ言えることです。私は迎えに行った場で仲間たちの空気を固くし、娘の幼馴染を勝手に疑い、娘が自分で企画した打ち上げを潰しました。どれも、娘を心配する気持ちから出たことでした。でも、心配は、相手を信じられていないことの裏返しでもあります。
子供が誰とどう付き合うかを、本人に任せるのは勇気のいることです。心配は尽きません。けれど、その心配を子供にぶつける前に、まず子供を信じてみる。いちばんの心配のかけ方は、口や手を出すことではなく、「この子は自分で関係を選び、育てていける」と信じて、後ろから見ていることなのかもしれません。
二人の娘は、それぞれの場所で、それぞれのペースで日々を過ごしています。長女は今の仕事に落ち着いているようですし、次女はまだ自分の場所を探している途中なのかもしれません。それでも、友人関係に関して言えば、あのとき私が踏み込んだことも、潰してしまった打ち上げも、結局は娘たちが自分で選び、自分で育てていくべき領域でした。あの場面で私が見せた顔を、娘たちはきっと覚えていると思います。
完璧な親はいません。私もまだ、子供との距離の取り方を学んでいる途中です。同じように、子供の友人関係との間合いに迷っている父親がいたら、まずは一度、自分の心配の正体を見つめてみることをおすすめします。
私も、まだ修行中です。

