子供が学校を出て、いざ社会に出ようとするとき。
思うように就職が決まらない。決まっても長く続かない。同級生は次々と新しい生活を始めていくのに、わが子だけが足踏みをしているように見える。
そんなとき、親の胸にはどうしても焦りと不安が湧いてきます。「この先、この子はちゃんと生きていけるのだろうか」と。
私の下の娘は、まさにそういう子でした。働きたくないと言って家にこもるタイプではありません。むしろ本人は、しっかりした仕事に就きたいと願っていました。それでもうまくいかない。受けては落ち、入っては合わず、を何度も繰り返してきました。
長いあいだ私は、その一つひとつを「失敗」だと思って数えていました。けれども定年まで勤めた職場での経験と、それでも働こうとし続ける娘の姿を通して、今は少し違う見方をするようになりました。
これは、就職の成否でわが子を測っていた父親が、その物差しを手放すまでの話です。
「ちゃんとした就職」を願っていたのは、誰だったのか
下の娘は、保育所のころから集団に馴染みにくい子でした。みんなと同じペースで動くこと、その場の空気を読んで立ち回ることが、生まれつき得意ではなかったのです。勉強も、本人なりに真面目に取り組むのですが、要領のいい子ではありませんでした。
それでも娘には、就きたい仕事のイメージがありました。公的な機関で、腰を据えて長く働きたい。そういう願いを持っていました。私はその願いを、心から後押ししたいと思っていました。安定した職に就いてくれれば、親としてこれほど安心なことはない。そう信じていたからです。
娘は大学で、同級生たちと同じように就職活動をしました。筆記の段階は通ることもありましたが、その先の面接でつまずくことが続きました。いくつもの採用試験を受け、そのたびに結果が出ませんでした。
そのころの私は、不採用の通知が届くたびに、自分のことのように落ち込んでいました。「なぜうまくいかないのか」「どうすれば次は受かるのか」と。今になって思えば、私は「ちゃんとした就職」というゴールを、いつのまにか自分のものとして握りしめていたのです。
娘の希望を応援しているつもりで、その実、私は自分が安心したいために結果を求めていた。これは、このブログでずっと書いてきた過干渉の特徴と地続きの話でした。先回りして決めるのではなくても、結果ばかりを見つめて一喜一憂すること。それもまた、子の歩みを自分の枠で測ろうとする関わり方だったのだと思います。
適性に合わない場所では、誰だって力を出せない
私はかつて、職員の採用や人事に携わる仕事をしていました。多くの人を見送り、多くの人を迎え入れてきました。
その経験から、確信していることがあります。それは、どれほど優秀な人でも、合わない場所では力を発揮できないということです。
ある部署では生き生きと働いていた人が、異動した先でまったく噛み合わなくなる。心身のバランスを崩して、長く休まざるを得なくなる。そういう例を、私は何度も見てきました。本人の能力が落ちたわけではありません。その場所と、その人の特性とが、たまたま合わなかっただけなのです。
厚生労働省の資料でも、職場でのストレスの原因として人間関係が大きな比重を占めていることが示されています。配置や異動をきっかけに心の不調が始まることもあり、その場合はもとの場所に戻すより環境を変えたほうがよいケースもある、とされています。つまり、合う・合わないは本人の努力だけでは超えられない、環境との相性の問題でもあるのです。
これは、職場を知る人間にとっては当たり前のことでした。それなのに私は、わが子のこととなると、その当たり前を忘れていました。
娘がいくつかの職場で長く続かなかったとき、私はどこかで「もっと頑張れば」と思っていました。けれども本当の問題は、本人の頑張りが足りないことではなく、その場所と娘の特性とのめぐり合わせだったのかもしれません。本人がまだ十分に準備できていない段階で、無理に背伸びをして飛び込めば、続かないのは当然のことだったのです。
合う場所を、もっと早く一緒に探せていたら。背伸びをさせるより先に、本人のペースに合う働き方を二人で考えられていたら。今はそう思います。近年は、本人の希望や適性に合った働き方を選べるよう支える仕組みも少しずつ整ってきています。私がそうした選択肢を早くから知っていれば、娘に何度も落ち続ける経験をさせずに済んだのかもしれません。
何度倒れても立ち上がること、それ自体が力だった
つまずきの数を数えていたあいだ、私は大事なことを見落としていました。
娘は、何度うまくいかなくても、家にこもってしまうことはありませんでした。ひとつの場所がだめなら、また次を探す。落ちても、また受ける。合わなければ、また別の道を試す。そうやって、社会との接点を自分の手で握り続けてきました。
これは、たやすいことではありません。集団に馴染みにくく、要領もよくない子が、それでも社会に出ることをあきらめずにいる。よく考えてみれば、これは娘の持っているものからすれば、むしろ立派なことなのです。
私はずいぶん長いあいだ、その姿を「失敗の繰り返し」として見ていました。けれども見方を変えれば、娘は失敗していたのではありません。社会の中で自分がどう生きていくのかを、身をもって学んでいる最中だったのです。
合わない場所を経験することは、自分に合う場所を知ることでもあります。うまくいかなかった経験のひとつひとつが、娘の中に積み重なっていく。それは、まわり道のように見えて、本人にしか歩けない道のりだったのだと、今は思えます。
今、娘はある小売りの店で、自分のペースで働いています。大きな肩書きのある働き方ではないかもしれません。けれども、娘は娘なりに、自分の居場所を探しながら、社会とつながり続けています。私はもう、それを足踏みだとは思っていません。
このブログでは以前、集団に馴染みにくい子の適職について書きました。あのとき私が伝えたかったことに、今ようやく自分自身が追いついた気がします。
親にできるのは、ゴールを用意することではなかった
では、こういう子を持つ親に、いったい何ができるのでしょうか。
長いあいだ私は、それは「いい就職をさせること」だと思っていました。安定した職に就かせ、生活の基盤を整えてやること。それが親の務めだと信じていました。
けれども今は、少し違うと感じています。親にできるのは、ゴールを用意して与えることではありません。本人がどんな道を歩むことになっても、安心して生きていけるだけの土台を、できる範囲で遺しておくこと。それくらいなのだと思うようになりました。
土台というのは、お金のことだけではありません。もちろん、多少の蓄えを遺してやりたいという気持ちはあります。けれどもそれ以上に大切なのは、お金との付き合い方そのものを、本人が身につけていけるようにすることです。
以前の記事にも書きましたが、お金は遺せても、お金との付き合い方は遺せません。だからこそ、本人が自分で学んでいけるような場や、だまされずに生きていくための知恵を、少しずつでも手渡していけたら。漠然とではありますが、私はそう考えています。お金を学べる場は、今はいくつもあります。本人がその気になったときに飛び込めるよう、ただ扉の場所だけは伝えておく。親の役目は、そのくらいでちょうどいいのかもしれません。
かつての私は、子の人生に「正解」を用意して、そこへ導こうとしていました。けれども子の人生に、親が用意できる正解などありません。あるのは、本人が自分の足で見つけていく、その子だけの道だけです。
「失敗」だと思っていたものの正体
下の娘の歩みを振り返ると、たしかに、すんなりとはいきませんでした。何度も結果が出ず、続かず、別の道へと移ってきました。
かつての私は、その一つひとつを失敗として数えていました。けれども今は、そうは思いません。あれは失敗ではなく、娘が社会の中で生きる術を、自分なりに探し続けてきた道のりだったのです。
職場を知る人間として、合う場所と合わない場所があることを、私は誰よりも分かっていたはずでした。それなのに、わが子のこととなると、その当たり前を忘れて結果ばかりを見ていた。背伸びをさせて、何度も落ちる経験をさせてしまった。そこは、親としての反省として残っています。
それでも娘は、こもることなく、社会との接点を握り続けています。その姿は、私が「失敗」と呼んでいたものが、実は本人にとっての学びだったことを、静かに教えてくれました。
将来を思えば、不安がないと言えば嘘になります。けれども親にできるのは、不安のあまり先回りすることではなく、本人が安心して歩いていける土台を少しでも遺し、あとは信じて見守ることなのだと思います。それは、このブログでくり返し書いてきた、子の後ろを歩くという関わり方そのものでした。
私も、まだ修行の途中です。子の歩みを自分の物差しで測らずにいられるか、結果ではなく本人を見ていられるか。日々、問い直しながら、娘の少し後ろを歩いていきたいと思っています。
※この記事は、就労や発達の特性について医学的な判断を述べるものではありません。お子さんの就労や心身の状態についてご心配がある場合は、お住まいの地域の相談窓口や専門の支援機関にご相談ください。
