お金は遺せる、でもお金との付き合い方は遺せない ─ 父親が娘の金銭教育で気づいた3つのこと

イメージ写真 集団に馴染めない子の自立
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私が金銭教育の大切さに気づいたのは、娘たちが大人になってからでした。

きっかけは、通販で服を次々と買い込む次女の姿でした。届いた段ボールを開け、また別のサイトでカートに入れている。タグも切らないまま、クローゼットに押し込まれた服が増えていく。「よく考えて買え」と一度は口にしたものの、私自身、子供のころに金銭教育を受けた覚えはなく、何をどう伝えればいいのか分かりませんでした。

そのころから、私は金融系のYouTubeを見るようになりました。動画のなかで「複利」や「インデックス投資」や「家計の固定費」といった言葉に出会うたびに、自分は何も知らずにここまで来てしまったのだなと思いました。そして同時に、こう考えました。「娘にも、これを学んでほしい」と。

私は娘に本を勧めました。お金を学ぶオンラインコミュニティを勧めました。「これを読めば変わるから」「ここに入れば一緒に学べる人がいるから」と。けれども、娘は本を開きませんでした。コミュニティにも入ろうとしませんでした。

そのとき気づいたのです。

お金は遺せる、でもお金との付き合い方は遺せない、と。

財産は数字として子に渡すことができます。けれども、お金との付き合い方、つまり「使う・貯める・増やす」という感覚は、大人になってから本を渡しても響かない。それは、私自身が子供時代に習慣として育ててこなかったものを、いま娘に押し付けようとしていただけなのではないか。同じことに気づいた父親が、ほかにもいるかもしれないと思い、この記事を書いています。


金銭教育の「窓」は、子供時代にしか開いていなかったのではないか

金融広報中央委員会の「子どものくらしとお金に関する調査」によれば、お小遣いの渡し方は大きく「定額制」「報酬制」「都度制」の3種類に分かれます。定額制は毎月決まった額を渡す方法、報酬制はお手伝いの対価として渡す方法、都度制は必要なときに必要なぶんを渡す方法です。

2026年に公表されたある民間調査では、定額制ではなく「必要なときに都度払い」を選んでいる家庭が過半数にのぼると報告されていました。私の家もまさにそれでした。「映画を観に行きたい」「友達と遊びに行く」と娘に言われるたびに、必要なぶんを渡していた。月初に決まった額を渡し、そのなかでやりくりさせるという発想自体がなかったのです。

金融教育を専門に扱う複数の解説を読むと、共通する指摘がありました。子供がお金について学ぶ「窓」は、小学校の低学年から中学年あたりに開くということです。この時期に、自分で使えるお金を自分で管理する経験を積めるかどうかが、その後の金銭感覚を大きく左右するというのです。

近年の調査では、家庭の半数以上が小学校中学年までに何らかのお金の教育を始めているという結果もあります。社会全体としても、金融トラブルが低年齢化していることや、新NISAのように資産形成の制度が身近になったことを背景に、家庭での金銭教育の重要性は急速に高まっているようです。

それを踏まえて、私自身の失敗を3つに整理してみます。


気づき1:お小遣いを「都度渡し」にしてしまった

第一の気づきは、お小遣いをほとんどの時期にわたって都度渡しで済ませてしまった、ということでした。

定額制であれば、子供は決まった額のなかでやりくりを学べます。「これを買ったら、今月はもう何も買えない」「来月まで我慢して貯めれば、もっと欲しいものが買える」。そういう体験を、家計のごく小さなスケールで積めるのが定額制の意義です。家庭という、失敗しても致命的にならない場所で、お金との付き合い方を練習する最初の機会になります。

一方、都度渡しは「足りなければ親に言えばいい」という感覚を作ってしまいます。これは本人の責任ではなく、仕組みの問題です。お金は流れてくるもので、自分が枠を決めて配分するものではない、という構造が頭のなかにできあがります。

私は当時、これを「優しさ」だと思っていました。子供が困らないようにしているつもりだったのです。けれども振り返ると、私は娘から「自分でやりくりを考える機会」を取り上げていただけでした。

しかも私自身、自分が子供時代にお小遣いの定額制を経験していません。母親に「いるときにいるぶんもらう」というやり方で育ち、それを疑いもせず娘たちにも同じやり方を引き継いでいた。世代を超えて「お金は親から流れてくるもの」という感覚を、私の家では何代も続けてしまっていたのかもしれません。


気づき2:「貯める・使う・増やす」の小さな経験を子供時代に積ませなかった

第二の気づきは、お金との関わり方を経験として積ませなかった、ということでした。

定額制のお小遣いを基本にすれば、その先に「貯める・使う・増やす」のミニ体験が生まれます。

「今月はこれを買わずに、来月のお祭りまで貯めておこう」(貯める)。
「これを買ったら、ほかのものはもう買えない」(使う配分の判断)。
「お年玉を全部使わずに、一部を取っておいたら、あとで助かった」(備えとしての貯蓄)。

少額で失敗しても、家計に致命傷を与えない。子供にとっては、痛みはあっても乗り越えられる程度の練習場として、家庭ほど良い場所はありません。

私は、その練習場を娘に提供してきませんでした。

その結果、稼ぐ立場になったとき、つまり収入が一気に増えて使える額が大きくなったとき、衝動買いに歯止めがかからなくなりました。それまでに「枠のなかで配分する」という体感がなければ、自分の収入のうちどこまでが必需品で、どこからが余剰で、どこから先は将来のために残すべきものか、感覚で判断できなくなるのは当然のことです。

これは「親なき後」を考えると、より深刻な問題になります。私たち親がいるあいだは、何かあれば多少は支えられます。けれども、私が先に逝ったあとで、娘は自分の収入のなかで生計を立てていかなければなりません。そのときに「枠のなかで配分する」感覚がなければ、いくら財産を残しても、それは一時的な緩衝材にしかなりません。

財産は数字として遺せます。けれども、その数字を扱う筋肉は、子供時代に少しずつ作っておくしかなかった。私はそれを、娘の子供時代に作りそびれたのです。


気づき3:大人になってから本やコミュニティを勧めても、もう響かない

第三の気づきが、いちばん苦かったかもしれません。

金融系のYouTubeで「お金との付き合い方」というものがあると知って、私は遅まきながら目が覚めた気がしました。そのとき、まっさきに思ったのが「娘にも、これを学ばせたい」でした。

そこで私は、金融教育の入門書として有名な本を娘に勧めました。お金を学ぶオンラインコミュニティに入って、初心者向けの宿題リストをこなしてみてはどうか、とも言いました。

娘は、どちらも動きませんでした。

最初は「面倒くさいだけだろう」と思っていました。けれども、何度か勧めても動かない様子を見て、私のほうがようやく気づきました。

「学ぶ意欲」というのは、子供時代に少しずつ芽吹かせていくものなのではないか、と。

子供のころに「お金について自分で考える機会」を持っていなかった人に、大人になってから「さあ、学んでみよう」と本を差し出しても、その本を読むモチベーション自体がそもそも育っていない。学ぶ前提となる興味の土壌が、私はそこに作ってこなかったのです。

そして気づいたのは、これが看板記事で書いた「過干渉の最初の特徴=先回りして決める」と、同じ形をしているということでした。

子供時代に「興味を持つ機会」「自分で考える機会」を奪い、大人になってから「これを読みなさい」「ここに入りなさい」と道を差し出す。これは方向こそ逆ですが、構造は同じです。子の意志が育つ前にこちらが決めるか、子の意志が育たなかったところにこちらが道を敷くか。どちらも「親が形を整えようとしている」という意味では、形を変えた過干渉でしかありません。

そして、こちらが力を込めれば込めるほど、相手は動かなくなります。これは私が、長女との就活のときにも経験したことでした(第14記事に書いた「働いたら負け」のエピソードと、根は同じです)。

集団に馴染みにくい子の場合は、新しい環境やオンラインコミュニティにそもそも飛び込みにくい、という特性も重なります。「みんなで学ぼう」と誘うこと自体が、本人にとっては大きな負荷になっている可能性もあるのです。


それでも、親にできることはある。ただし、限界もある

ここまで読むと、「では今からできることはないのか」と思われるかもしれません。

私自身、限界は限界として認めたうえで、できることもやっています。

具体的には、娘の名義でNISA口座を開設し、家計に無理のない範囲で毎月一定額を積み立てています。投資対象は、世界全体に幅広く分散できる商品と、米国の代表的な株価指数に連動する商品の2本に絞っています(「オルカン」「S&P500」と呼ばれる商品です)。長期にわたって持ち続ければ、世界経済の成長に乗ってお金が増える可能性が高いと考えられている、定番の組み合わせです。

ただし、ここに重要な留保があります。

この積立に充てているお金は、娘自身の収入から出ています。私は、娘から預かった現金を、毎月「どの商品にいくら買うか」という運用判断だけを代わりに行っている、という状態です。

これは、本当の意味での金銭教育とは違います。なぜなら、娘自身は何を買っているか、複利でどう増えるか、相場が下がったときにどう感じるべきか、いずれも自分で考えていません。私が代わりに考えている、それだけです。

これでは、私が生きているあいだしか機能しません。

私が判断できなくなったとき、あるいは私が先に逝ったとき、娘自身がこの仕組みを続けられるかどうかは、現時点では分かりません。むしろ、続けられない可能性のほうが高い気もしています。

そこから先、どうすればいいのか。

ひとつの選択肢として、家族信託や成年後見制度の仕組みを調べはじめています。家族信託は、信頼できる家族に財産の管理や運用を任せる仕組みで、判断能力に問題が出てくる前から契約しておけば柔軟に運用できると聞きます。成年後見制度は、判断能力が不十分になった人の代わりに、選ばれた後見人が財産を管理する公的な仕組みです。「親なき後」の備えとして、複数の制度を組み合わせて検討している家庭もあると、専門家の解説で読みました。

私はまだ、具体的にどの仕組みを使うか決めかねています。それでも、これらの仕組みがあると知っておくこと自体が、第一歩なのだと思っています。お金は運用できても、お金との付き合い方は遺せない。けれども、本人が動けないときに、別の仕組みが代わりに動いてくれるよう備えておくことは、まだ親にできることのひとつだと思うのです。


まとめ:子供時代の習慣づくりこそ、最大の金銭教育だった

ここまで書いてきた3つの気づきは、すべて同じことを言っています。

子供時代に作っておかなかった習慣を、大人になってから本やコミュニティで補おうとしても、もう間に合わない。お金との付き合い方の土壌は、子供時代に小さく小さく育てるしかなかった、ということです。

いまお子さんが小さい読者の方へ。

定額制のお小遣いを始めるところから、ぜひ検討してみてください。月100円でも、月500円でもいいと思います。それを子供が自分で配分し、ときに失敗し、ときに我慢する。その小さな試行錯誤こそが、お金との付き合い方の最初の練習場になります。私は、その練習場を娘に提供しそびれました。

お子さんがすでに大人になっている読者の方へ。

本を勧めても、コミュニティを勧めても、響かない時期は来るかもしれません。私もそうでした。そのとき、本人が動かないという事実を一度受け入れたうえで、別のかたちで備える方向に切り替えてもいいのではないかと、私は思っています。家族信託、成年後見制度、生命保険信託など、調べてみる価値のある仕組みはいくつもあります。本人に強く勧めることをやめて、こちらが静かに備える。それも、ひとつのあり方ではないでしょうか。

そして、もしお子さんが「集団に馴染みにくい子」であるならば、なおさらです。新しい環境やコミュニティに飛び込むこと自体が、本人にとってどれほどの負荷になっているか。それを承知のうえで「ここに入ってみたら」と勧めることは、私が看板記事で書いた「先回りして決める」とどこか似た構造を持っている、と気づいたのが、この記事を書くきっかけのひとつでもありました。

お金は遺せる、でもお金との付き合い方は遺せない。

このことに、私はもっと早く気づくべきでした。けれども、気づいた今からでも、できることはあります。子供との関わり方を見直すこと。仕組みを学んでおくこと。本人に強く勧めることをやめて、静かに備えること。

私もまだ、修行中です。同じ立場の父親の方が、この記事をきっかけに少しでも早く動けたら、それが私の小さな償いになると思っています。


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