導入
「自分は良かれと思ってやってきたのに、なぜ子供との関係がうまくいかないのか」
子供の進路、就活、日々の関わり方 ─ どこか歯車が噛み合わないまま、年月だけが過ぎていく。そんな思いを抱えてきた父親は、私だけではないと思います。
私自身、二人の娘の家庭学習を見続け、進路を考え、家庭教師を手配し、就活のエントリーシートにまで関わってきました。良かれと思ってのことでした。けれど、振り返ってみれば、その「良かれ」が娘たちの主体性を奪ってきた ─ そう気づいたのは、ずいぶん時間が経ってからでした。
そんな私が、自分の関わり方を根本から見直すきっかけになった一冊があります。それが、児童精神科医・佐々木正美さんの『子どもへのまなざし』です。
About Pageでも、第2記事「子供の後ろを歩くとは」でも、私はこの本の名前を出してきました。今回、満を持して、この本そのものについての書評を書きたいと思います。
過干渉だった父親が、この本のどこに、どう刺さったのか ─ 同じ立場の父親仲間に向けて、3つの教えに整理してお伝えします。
本書の概要
『子どもへのまなざし』(福音館書店、1998年初版)は、児童精神科医の佐々木正美さん(1935-2017)が書いた、子育てについての名著です。佐々木さんは、自閉症の療育プログラム「TEACCH」を日本に紹介した第一人者として知られています。
本書は『続 子どもへのまなざし』『完 子どもへのまなざし』へと続く三部作の第一作で、324ページのボリュームがありますが、語りかけるような文章で、読みやすさは抜群です。
主に乳幼児期の育児がテーマですが、その本質は、思春期や青年期の子供を持つ親にも、深く刺さります。むしろ私のように、子供がもう大人になりかけている年齢の親にこそ、読んでほしい本だと感じます。
タイトルにある「まなざし」という言葉そのものが、本書の核心を示していると私は思います。子供に対して、私たちはどんな目で、どんな距離感で見守るべきなのか ─ それを問いかけてくる本なのです。
教え1:しつけは「待つこと」だった
本書を読んで、まず私の胸に突き刺さったのは、しつけについての一節でした。
佐々木さんは、しつけとは、くり返し教えること、そして待つことだ、と書いています。
「教える」は、私にもできていたつもりでした。子供が小さいころから、勉強の仕方、人との接し方、進路の考え方 ─ 言葉を尽くして伝えてきたつもりです。
でも、「待つ」は、私が一番できていなかったことでした。
長女が高校2年生のとき、進研模試で偏差値60前後の結果が返ってきたことがありました。学校の成績もオール5に近く、私は「これは相当できる方だ」と思い込みました。模試の結果はその一度しか見ていません。それなのに、私はすぐに動きました。超難関国立大学を視野に入れた進路を考え、家庭教師を手配し、本人にも「目指せるレベルだ」と話したのです。
今振り返れば、これが「待てなかった」典型でした。たった一度の模試結果で、子の進路を方向づけてしまった。本人の中で「自分はどこを目指したいのか」が固まる前に、親の判断を先に伝えてしまったのです。
(進研模試の偏差値が他の模試より高めに出ることは、後になって知りました。詳しくは 第3記事「進研模試の偏差値はあてにならない?」 に書いています)
待つというのは、ただ放っておくことではありません。子供が自分で考え、自分で動き出すまでの時間を、信じて見守ることです。「もう少し様子を見よう」と腰を据えられるかどうか ─ そこが、過干渉な親と、そうでない親の境目なのかもしれません。
佐々木さんが「待つ」という一言に込めた重みを、私は娘たちが大人になってから、ようやく理解し始めたように思います。
教え2:過保護と過干渉は、まったく違う
本書を読んでもう一つ衝撃を受けたのは、過保護と過干渉の違いについての記述でした。
佐々木さんは、過保護はそれほど害はないが、過干渉は子の主体性を奪う、という趣旨のことを書いています。具体的には、子供が望むことを満たすのが過保護で、子供が望んでもいないのに親が押し付けるのが過干渉、という整理です。
これを読んだとき、私は自分の関わり方を根本から問い直すことになりました。私は長い間、「子のために」と言いながら、実は子の望みを満たしていたのではなく、自分の願望を押し付けていたのではないか ─ そう気づかされたのです。
たとえば、我が家には、子供のころから集団になじむのが苦手なタイプがいます。私はその子の特性を、長い間、「努力不足」だと誤解していました。「もっと頑張れ」「みんなと同じようにできるはずだ」と励まし続けてしまったのです。
これは、子のありのままを受け入れる関わり方ではなく、「みんなと同じであってほしい」という私の願望を子に押し付ける関わり方でした。佐々木さんの言葉でいえば、まさに過干渉そのものだったわけです。
(この子の特性については、 第6記事「集団に馴染みにくい子の適職とは?」 で詳しく書いています)
過保護と過干渉。この二つの違いを、私はずっと混同していました。「子のため」という気持ちさえあれば、過保護も過干渉も、同じく愛情の表現だと思い込んでいたのです。
でも、本当は違う。子の望みを満たすのと、親の望みを押し付けるのは、根本から違う行為なのです。
子に何かをするときに、「これは本人が望んでいることか?それとも私が望んでいることか?」 ─ この問いを立てる習慣が、過干渉から離れる第一歩なのだと、本書から学びました。
教え3:親が信じることで、子は自分を信じられるようになる
本書の中で繰り返し語られる、もう一つの重要な概念が「基本的信頼感」です。
佐々木さんは、子供は乳幼児期に「人を信じてもいい」という経験を積み重ねることで、自分を信じる力を育てていく、と書いています。これが、その後の人生の土台になるのだ、と。
本書の核心は乳幼児期にありますが、私はこれを、思春期や青年期の関わり方にも応用できると感じました。それは、親が子を信じる姿勢を持ち続けることが、子が自分を信じる力につながるという普遍的な真理です。
我が家の長女が、就活でエントリーシートの志望動機について悩んでいた時期がありました。本人から相談を受けて、私は添削に関わることになりました。
そこまでは、よかったのです。問題は、その先でした。
私は、本人の言葉が幼く感じられるたびに、「なぜそう書いたのか」「他の言い方はないのか」と問いただすような関わり方をしてしまいました。本人にしてみれば、相談したのに詰問されている ─ そんな気持ちだったろうと思います。
これは、本人を信じる関わり方ではありませんでした。「お前の書いたものでは通用しない」と、暗に伝えていたわけです。本人が自分の言葉で考え、自分の言葉で書いたものを、私は信じてあげられなかったのです。
(エントリーシートに親がどう関わるべきかは、 第5記事「子供のエントリーシートの志望動機が幼稚に見える?」 で別の角度から書いています)
口を出すことは、突き詰めれば「お前を信じていない」というメッセージを送ることです。逆に、口を出すのを我慢することは、「お前を信じている」というメッセージを送ることです。
信じる、という言葉は美しい言葉ですが、行動に移すのは、口を閉じることと同じくらい難しい ─ それを、本書は教えてくれました。
まとめ:「まなざし」が示すもの
『子どもへのまなざし』というタイトルは、本書の核心そのものを表しています。
子に対して私たちが向けるべきなのは、介入ではなく、見守りだ。先回りしてレールを敷くことではなく、子が自分で歩く後ろから、信じて見守ることだ。
待つこと。
過保護と過干渉を区別すること。
信じること。
この3つは、過干渉だった私が、本書から教えられた、子育ての本質でした。
もちろん、私はまだ修行の途中です。本書を読んでから何年経っても、つい先回りしようとする癖が出てしまいます。それでも、迷ったときに本書に立ち返れることが、私にとっての救いになっています。
同じ悩みを抱える父親仲間がいれば、ぜひ手に取ってみてほしい一冊です。私たちが見落としていた「まなざし」のあり方を、優しく、しかし確かな声で教えてくれる本ですから。
子供との距離感に悩んだ夜には、ぜひこの本を開いてみてください。
(本書の核心の一つである「子の後ろを歩く」という考え方については、 第2記事「子供の後ろを歩くとは?」 で深掘りしています)
(過干渉な親の特徴と抜け出すための具体策は、 看板記事「過干渉な親の3つの特徴」 で全体像を整理しています)

